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1 アンコナって?
アンコナ(Ancona)って、日本人にはあまりなじみがないですよね。
アンコナは、イタリア共和国中部のアドリア海沿岸にある港湾都市で、その周辺地域を含む基礎自治体です。
人口は100,696人(2017年時点)で、面積は、123.71㎡です。
アンコナは、およそ紀元前390年頃、古代ギリシャの植民都市シラクーザによって建設され、アンコナという名前を与えられました。地名の由来は、町の東にある港が、肘のように曲がっていたため、ギリシャ語で「肘」を意味する「 Αγκων」 の音によるようです。
ギリシャ人商人は、ここに染料の工場をつくりました。 ローマ帝国時代には、アンコナ港はダルマチアに近いために重要とみなされ、トラヤヌス帝はお抱えのシリア人建築家とともに北の埠頭を建設しました。
最初に埠頭が建てられたころ、大理石製の凱旋門が議会と市民によって、115年にトラヤヌス帝を讃えて建てられました。
11世紀以後、アンコナは独立都市状態となり、ついには重要な海洋共和国となりました。そしてしばしば北方の強大なヴェネツィア共和国とも衝突しました。
寡頭独裁共和国アンコナは、6人の長老らが治めていた。アンコナは自前の硬貨であるアゴンターノ(agontano)を持ち、法令を制定していました。
アンコナの船は十字軍に用いられるほど強力な軍事力でした。
12世紀以降、教皇と皇帝が争い始めると、アンコナは教皇側につきました。
1532年、教皇クレメンス7世のもと、アンコナ教皇領となり、自治権が失われました。
1797年から、アンコナはフランスの支配下に入り、しばしば歴史上に重要な要塞として現れます。フランスの将軍クリストフ・レオン・ルイ・ジュショー・ド・ラモリシエールが捕虜となる1860年までフランスの支配が続きました。
2 アンコナ街歩き
船は徐々に港に入っていきます。
歴史感ただよう建物が見えてきます。
さっそく、高い塔の教会が見えてきます。
教会のお向かいには、劇場(Teatro delle Muse)があります。
ここから坂を上って、「 Cattedrale di San Ciriaco」を目指します。
ここでカラテの広告を見るとは思いませんでした。
坂を上る途中、トラヤヌスの凱旋門を上から見ることができます。
かなり高いところまで登ります。レンガ色の街並みが映画の中のようです。
途中、ドーム型の教会があります。
階段ものぼりました。
丘の上にある「Cattedrale di San Ciriaco」に到着しました!
途中、たいして人がいないのに、ここには結構いるんですね。
周辺には、ローマ時代の遺跡が残っています。
引き返して街の中を歩いてみます。
サン・ドミニコ教会前のプレビシート広場に来ました。
少し歩けば「ローマ広場」にでます。
噴水がいい雰囲気を醸し出しています。
せまい路地を歩くと、「子供時代の博物館」なるポスターが貼ってありました。
くまのぬいぐるみが何とも言えません。
港に近づいてきました。
一段高いところに建っている教会に入ってみました。
朝はやや曇り気味だったのが、だんだんと晴れてきました。
船に戻ったころには青空になっていたので、もういちどアンコナの風景を撮りました。
夕方、アンコナを出航しました。ヴェネツィアに向かいます。
虹が出ていたのでここでも撮影。
次回は、このクルーズの終着点、イタリアのヴェネツィアに戻ってきます。